第3回 2026/04/21(火)大阪のイベントで褒められる
現在、4月18日土曜日、午前10時30分。この原稿は大阪から東京に戻る新幹線の車内で書いています(憧れの書き出し)。
昨晩はイベントスペースの大阪ラテラルで開催されたハシPこと橋本吉史さんの著書『ラジオ最強説』(イースト・プレス)の出版記念トークイベントに出演してきました。
前日までは「我々だけで本当にお客さんが集まるのだろうか」とふたりで震えていたものの、ふたを開けてみれば会場+配信で100人ほどのお客さんが集まってくれました。
アジャーッス!!(安堵したらすぐ調子こくタイプ)
会場に来てくださった皆さん、配信を見てくれた方々、ありがとうございました。お土産をくれた人たちもありがとう。おいしかったです。差し入れシステム(出演者の飲食物をお客さんがオーダーできるスパチャみたいやつ)、初めて体験しました。感動した。りんごジュースとウインナー、世界で一番好きな飲み物と食べ物です(会場限定ギャグ)。
トークは大阪の印象から始まり、『ラジオ最強説』がいかにラジオ番組的な仕掛けが施された本か、ふたりの出会いとなった2007年のTBSラジオ『宇多丸独演会』、そして『ライムスター宇多丸のウィークエンド・シャッフル』『ザ・トップ5』『ジェーン・スー 相談は踊る』『生活は踊る』『アフター6ジャンクション』と、我々が立ち上げてきたTBSラジオの番組裏話へ移っていきました。
中でも盛り上がったのが、「短命だが重要な番組だった」との意見で一致した『興味R』。そこから、この番組でメインパーソナリティを務めた熊崎風斗アナウンサー(現『アフター6ジャンクション』木曜パートナー、愛称「クマス」)の話題になりました。
今でこそスポーツ実況アナとしての自信に裏打ちされた見事なトークを披露している熊崎アナですが、正直に告白すると、『興味R』が始まった2017年時点ではまだどこかふわふわと頼りなく、私は「(この人、ラジオ向いてないんじゃ…?)」なんて思っていました(ごめんねクマス)。
それが完全に間違っていたことは、今『アフター6ジャンクション』をお聞きの皆さんならよくご存知でしょう。
けれど橋本さんは、最初からずっと、熊崎アナのラジオ適性を確信していた。
そもそも橋本さんはラジオのキャスティングが異様にうまい。こちらが提案した人材に対してもすぐさま「その人は向いている、その人は向いていない」と即断し、それが当たっていたことが数年経ってようやく分かったりする。橋本さんに選ばれたパーソナリティはリスナーから愛されるし、本人も「ラジオをやれてよかった」と言う。長年間近で見続けていて、橋本さんが人選で失敗したのを本当に見たことがないのです。
なんでそんなことができるん????
長年のこの疑問に答えがあるなら知りたいし、あるなら何らかの形で記録として残しておきたい。
そんな私の疑問に、橋本さんはこう答えてくれました。
まずは、番組のコンセプトをしっかりと立てること。
そうすることで、どういった人間が番組に必要か分かるから。
その上で、キャスティングの前にちゃんと本人と会話すること。
たとえば『アフター6ジャンクション2』の火曜日パートナー・日比麻音子アナの場合、番組立ち上げの途中で世間話をしたとき、アナウンサーとしてのスキルの高さはもちろん、最近観た映画がジム・ジャームッシュ監督の『パターソン』(2016)」だったこと、お酒の話になると途端にくだけた一面を見せる、といったところが垣間見え、これはこの番組に必要な人だ、きっとラジオリスナーにも愛されるだろう、との確信を得たのだそうです。
つまり、なんてことはない、基本理念の構築とその順守、そして地道なリサーチ。そうした地味な作業を実直にこなしているだけで、ここまで「外れなし」を続けているのです。
ここで自分なりの意見をひとつ付け加えておくと、我々がタッグを組んで番組を立ち上げるようになったのが2011年。その前年、2010年12月からradikoの本格運用が始まり、ラジオがスマートフォンやパソコンでも聞けるにようになりました。その数年後、タイムフリーやエリアフリー機能も始まり、かつてないほど多様なラジオの聞き方が可能となった。そんなラジオの一大転換期に新しい番組を立ち上げまくっていれば、どうしたって「ラジオとはなにか?」という本質に向き合わざるを得なくなる。
その時に繰り返した自問自答が、橋本さんの確かなラジオ選球眼を研ぎ澄ませたのだと思います。
ただ、そんな橋本さんでも熊崎アナの魅力を言語化するのは難しいようで、あえて言葉にするなら「万人にナメられる能力」、すなわちラジオパーソナリティに必須の「愛され力」がある……と、なんだか急にふんわりした話になっていたのがちょっと面白かったです。
詳しくはアーカイブで確認してみて下さい。
【耳寄り情報】まだ間に合う! イベントのアーカイブ配信のお知らせ
「『ラジオ最強説』刊行記念イベント in大阪」のアーカイブ配信は2026年5月1日(金) 23:59まで購入可能。ミラノ・コルティナ2026冬季オリンピック、ハーフパイプ中継で熊崎アナが放った「誰も誰かのミスを求めていません!」という名フレーズ、その解説をしていた橋本さんが感極まって思わず……? という貴重な場面が見られるのはこのアーカイブだけ! 購入はこちらからどうぞ。
ところで、今回のトークイベントでは事前に「お互い腐し合うような古いタイプのコミュニケーションはもう止めよう、きっちり褒めあおう」と打ち合わせで決めていました。
そうすることでお互いの仕事の説明にもなるし、なによりそのほうが気持ちいいじゃんね〜と、集客への不安を紛らわしていたのでしょう。現場ではしっかり私を褒めてくれるターンもありました。
いわく、「古川さんはもともと雑誌畑から来た人なので、言葉の表現が豊か。自分には書けない台本を書くので、だからこそ組む意味があった」「発注すると必ず面白い言い回しやフレッシュなフレーズ、パンチの効いたタイトルが出てくる(例『いわもとQのことを悪く言う奴は俺が殺す特集』)。台本だけですでに一定の面白さがある」「平易で読みやすい、いわゆる“普通の構成作家”さんが書く台本ではないが、だからこそ新しい番組がつくれると思った」などなど。
この話を聞きながら、たしかに橋本さんからよく番組の挨拶文やコーナーのキャッチフレーズ、表に出ないような番組企画書の説明文まで頼まれていたことを思い出しました。
また、番組の立ち上げ時には雛形となる台本を書くことも多く、そのときに書いたフレーズ──たとえば『生活は踊る』なら相談コーナーでの「人生の酸いも甘いもつまみ食いしてきたジェーン・スー」や、水音スケッチの「耳で安らぎの小旅行」など。アトロクなら特集コーナーの「聞けば世界の見え方がちょっと変わるといいな!」や、締めの「明日もよいカルチャーを!」など──は、最初に私が書いたものがそのまま今も使われています。
こうした、ちょっとだけ気のきいたフレーズを嬉々として書きたがるのは、私がライターだったキャリアと無関係ではないでしょう。
それまで私が紙面に書いてきた「目で読むための文章」と、橋本さんの言う「すんなりと口にしやすく、違和感なく耳に入ってくる文章」とには隔たりがあり、それを埋めるのにはいまだに苦労しています。
ただ、どうも自分は、少々の引っかかりや飲み込みづらさがあったとしても、言葉のフレッシュさやニュアンスの面白さを優先してしまうきらいがある。
たとえば『アフター6ジャンクション2』でやっていたコーナー「食べラーメン マ牛丼の怪」なんて、その最たるものでしょう(「言葉の区切る場所を間違えて読んでしまい、なんか変だぞと薄々思いながらも、そのままやり過ごしてきた言葉を募集する」というコーナー)。およそラジオ向きとは言えない。
結局いつまで経っても自分は「書き言葉」寄りの台本を書いているな、と半ば諦めの気持ちもあり、でもそこは個性として、あとは使うほうがうまく使いこなしてよね、と開き直る気持ちもちょっとある。
そして、まさに橋本さんはそんな私を、自分の武器として使いこなしてくれているのです。
やっぱりハシP、見る目あるよね〜。
【今週見たモノ触れたモノ】
◆4月18日(土)14時30分〜17時 イベント「これまでのコミケ、これからのコミケ -場を繋いだ50年-」@明治大学駿河台キャンパス
大阪帰りの東京駅から直接会場へ。
このイベントは明治大学 米沢嘉博記念図書館・現代マンガ図書館で2026年2月27日から6月15日まで開催されている「コミケ50周年 ─コミケにまつわる50のアイテム─」展の一環として企画されたもの。登壇者のひとりである原田央男さんにお声がけ頂いた。
自分にとって原田さんは、大先輩にして大恩人。今はなき投稿雑誌『月刊OUT』に憧れ、高校を卒業してすぐフリーライターになった自分に仕事を紹介してくれ、そればかりか原稿の書き方や校正の見方まで何でも親切に教えてくれた。優しくて知的でシャイ、だけど気骨のある人柄が大好きで、しかし「コミケを作ったすごい人」だと知ったのは知り合ってからずいぶんあとのことだった。『アフター6ジャンクション』でコミケの話をしてもらったこともある(2018年7月31日「夏の祭典コミックマーケットって誰がつくったの? 1回目のコミケってどんな感じだったの? コミケをつくった当の本人に聞いてみよう!特集 」)。
そんな原田さんは第一部「初期コミケの様子」に登壇。第二部は「会場の変遷、コミケの変化とこれから」と題して、現コミックマーケット準備会共同代表の安田かほるさん(第一部にも登壇)、筆谷芳行さん、市川孝一さん、コミケット広報担当の里見直紀さんらが登壇した。
このイベント、既にSNSでも少し話題になっていたが、現準備会チームの「とにかく続けていくこと、それがコミケの理念」とする姿勢と、「(コミケの母体となった漫画批評集団『迷宮』では)そんなことは言ってない。終わったらまた一から作ればいい」という原田さんとで全く意見が交わらず、しかしそれが論点として浮上するでも議論されるでもなく、ただほったらかしのまま進んでいくという、いささか座りの悪いものだった。
私の知る限り、原田さんは昔から一貫してコミケットという場を「商業漫画界のカウンターの場」として位置付けていた。そして何よりDIY精神を重んじていた。原田門下生としては、ラディカルでインディー精神溢れる原田さんのほうにどうしたって肩入れしてしまう。
思い出したのは、コミケ誕生より少し後、1970年代末を舞台に東京のパンクシーンを描いた映画『ストリート・キングダム 自分の音を鳴らせ。』(2026年)だ。東京ロッカーズのムーブメントはわずか1年という短さで終わるが、それはパンクの理念に真摯に従ったからだった。でも、もしあそこで東京ロッカーズがコミケのように延命する道を選んでいたら? あるいはコミケが東京ロッカーズのように自らの理念に殉じていたら……?
どんな世界が待っていたかを想像するのは楽しいし、東京ロッカーズ同様、コミケの成り立ちもまたいずれ映画になりそうである。原田さんを演じる俳優を決める会議があったらぜひ呼んで欲しい。
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