第6回 2026/05/17 「動く絵画」としてのアニメーション、その可能性に触れる
日本橋のギャラリーYUKI-SISで開催中のアニメーション作家・榊原澄人さんによる個展「榊原澄人 個展 WORKS 〜2026」。その初日となる5月16日(土)、ご本人のライブ解説付き上映会に行ってきました。
●20年前の出会いと衝撃
私が榊原さんの作品に初めて出会ったのは、20年前の2006年2月23日。取材で訪れた第9回文化庁メディア芸術祭の贈呈式会場でした。そこで映し出されていたアニメーション部門の大賞受賞作品『浮楼 Flow』(2005)に衝撃を受けたのです。
当時、私は寄稿したレポート記事の中で、こう記していました。
「あるひとつの秀逸なアイデアと、それを実現する確かな技術、センス。小さな町の広場を俯瞰して写し取った(略)映像の中に、“生きる”ということがキュートに封じ込められている傑作。15歳で渡英し、英国王立芸術大学院のアニメーション科で学んだ作者の榊原澄人は、なんとこれが実質2作目。今後が嘱望される逸材である」

ギャラリーで展示されている榊原澄人さん本人による『浮楼 Flow』のドローイング
●『浮楼 Flow』とは
『浮楼 Flow』は、榊原さんが英国王立芸術大学院の卒業制作として手掛けた、およそ10分間の自主制作短編アニメーション。台詞はなく、控えめな生活音や猫の鳴き声、BGMには穏やかなピアノジャズが流れている。
パッと見は、一枚の「絵」。ヨーロッパ風の長閑な町を描いた俯瞰図で、まるで案内板のイラストか絵本の見開きのよう。いくつかの建物や教会、池や川、噴水のある広場などが描かれ、その間を年代の異なる数名の女性たちが行き来している。
ハイハイ歩きの赤ちゃん。頼りない足取りで黒猫を追いかける幼女。自転車の練習をしている少女。広場でこっそり煙草を吸う女学生。雨宿り中に出会った男性と恋に落ちる若い女性。教会からウェディングドレスを着て出てくる花嫁。ベビーカーに赤ちゃんを乗せた母親。そして、手押し車を押しながらゆっくりと、町から歩き去っていく老婆。
それぞれの動きを追いかけているうち、突如、この8人がすべて同じ女性であり、その生涯がループで描かれていることに気づく。さらに見続けていると、女性の生涯のループとはまた別に、背景の木々や芝が、まるで「アハ体験」のようにゆっくりと、その色合いを変化させていることにも気づく。自然は自然で、「四季」というループを繰り返しているのだ。
人の一生と、季節の移ろい。ふたつの異なる時間軸がポリリズムのように一枚の「絵」の中で重なり合い、10分間の作品として表現されている。こんなアニメーションはこれまで観たことがないし、いまだに観たことがない。
前述の記事で、当時25歳の榊原澄人さんは、本作についてこう語っていた。
「着想自体は昔からあったんです。アニメーションって、原画と動画がありますよね? その構造自体がコンセプトになるんじゃないかと。人ひとりの人生で、結婚とか子供が生まれるとか、そういう瞬間を『原画』として。この作品にはそのピリオドが8ポイントあって、それを『動画』で繋ぐことで、人生という絵になるようになっているんです。(側にいた甥の頭を撫でながら)……彼が元ネタです。甥が生まれた一年前にうちの母親が亡くなって、ちょうど入れ替わりというか、世代交代みたいなことを考えていて、この作品は生まれました」
●榊原作品の真骨頂、「ループ作品」
今回の展示では、この『浮楼 Flow』はもちろんのこと、榊原さんの1作目『神谷通信』(2004)や『淡い水の中』(2007)といった、台詞やストーリーのある、いわゆる「普通の」ドラマスタイルの初期作も見られる。
それらを見て今回初めて分かったのは、榊原さんはこうした「普通の」アニメーションも素晴らしい、ということ。ゴリゴリにキャラを動かすタイプではなく、動きひとつひとつを気持ち良く、綺麗に見せていくアニメーション。レイアウトも緻密で、線や色づかいも上品。ストーリーも味わい深く、特に『淡い水の中』は、「高野文子作品をアニメ化したらこんな感じだろうな」と思ってしまうほど。とてもよい。
が、それでもやはり、榊原作品の真骨頂はループ作品にこそある。
今回上映されている『飯縄縁日』(2021)『É in Monition No.2』(2013)『Solitarium』(2015)といった作品群は、どれもフレームが固定され、その中で同時多発的にさまざまな出来事が起こっている、という共通点がある。
街や広場、浜辺、祭り、ビル街といった舞台がシームレスに繋がり、その「世界」の中で蠢く大量のヒトやモノノケ、動物たち。それらがあちこち移動しながら、途中で別のなにかにメタモルフォーゼしたり、延々と長い距離を移動した挙げ句、なにか別のアクションの引き金になったり……というのを繰り返している。
これらが同時多発的に、至るところで起こっているのだ。画面のあちこちに目をやり、ひとつの動きを追いかけているうち、いつの間にか別のループを追いかけてしまっている。こうしていつしかこちらの時間感覚は失調し、ループの渦に飲み込まれていく。
●アニメーションの「有り得たもうひとつの可能性」を垣間見る
これらの作品は、榊原さんのライブ解説によると、日本の絵巻物や西洋の宗教画で見られる「異時同図法」をアニメーションに落とし込んだものだそうだ。
「異時同図法」とは、同じ画面(空間)の中に異なる時間帯の出来事や人物を複数描き、一連のストーリーや時間の経過を表す絵画技法。これをコマで割って整理していくと漫画になる、と一般的には説明されることもある。
ここで自分が思い浮かべるのは、アニメーション監督の細田守さんが以前から提唱している、「アニメーションは絵画史の最先端にある」という考え方だ。
曰く、「絵画は止まってると思うけど、動いている」「古今東西の画家は、絵画の中に長い時間を封じ込めようとしてきた」。ゆえに、一枚の絵は止まっているように見えて、その中には複数の時間が凝縮されて描かれているのだ、と。そして、この見方に従えば、アニメーションは映画史の中に位置付けるより、絵画史の最先端にあると考えたほうがよい。昔の画家がアニメーション表現を手にしていたら、絶対にアニメのように動かしていたはずだ──。
榊原作品を見ていると自分は、こうした「絵画史の延長線上にあるアニメーション」としての可能性について、つい思いを馳せてしまう。
現代ではほぼ「映画(的なるものも含む)」と一体化してしまったアニメーション。だが、それとは違う、より「絵画」らしさを残したまま進化したアニメーションが発展する世界も有り得たのではないか。仮想の3次元空間の中で絵のキャラクターが動き、ストーリーをリニアに伝えていくアニメーションではなく、2次元上に散らばった諸要素から、観る者が好きな順番に好きな要素を汲み取り、能動的にドラマを組み立てていく、そんな絵画的なナラティブを持ったアニメーションが。
榊原作品には、そんな「もうひとつのアニメーション」を目撃する興奮があり、なにより、こんな独創的な試みが、理屈抜きで誰でも楽しめる作品としてポップに提示されている。そこに、ンー、天才!! と思ってしまうわけです。
榊原作品は、Vimeoで一部観たり購入できたりするが、大きな画面で一挙に鑑賞できる機会は滅多にない。とても貴重なこの展示。開催は5月30日まで。榊原さんが自作の一場面を描いたドローイングの展示や、ポストカード・作品を収録したUSB販売などもあります。ぜひ。
「榊原澄人 個展 WORKS 〜2026」
2026年5月16日(土曜)〜30日(土)
日・月休み 12:00~19:00 入場無料

榊原澄人さん自身による『É in Monition No.2』のドローイング

会場で売られているポストカードとフライヤー
追伸1
榊原さんは現在、2027年発表予定の『子どもたちの霊歌 Children's Hymn』を製作中。楽しみ!
追伸2
『アフター6ジャンクション2』の5月14日(木)配信の放課後Podcastで榊原澄人展について喋ったところ(リンクの24分あたりから)、すでに数名のリスナーさんが行ってくれたそうです。感謝!
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